みなさんこんにちはSunkistです。
このところずっと岐阜城を中心とした記事を書いていますので、そのままその流れでいきたいと思います!
今回は鷺山城址です!
あ、読めますか?「さぎやま」です。
ちょっと普段では使わない漢字なのでわからない時ありません?(僕は岐阜に住むまで知らなかった)
このお城、歴史が好きな人ならすぐにわかりますよね?
「ザ・下剋上」とも言える斎藤道三が最後を迎えた場所です。
戦国時代を創り上げた一人の漢(おとこ)が迎えた最後の場所はどんなところなのか、迫っていきたいと思います!
どうやって行くの?
ちょっと行きにくい場所にあります。
アクセス
岐阜バス:JR岐阜駅9番乗場より岐南町線「岐阜大学病院行き」さぎやま小学校北下車
徒歩 :さぎやま小学校北バス停より徒歩15分ほど
車 :駐車場に困ります。おススメしません。
ちなみに、もし岐阜城から歩いた場合ですが、麓の岐阜公園から歩いて50分くらいはかかります。素直にバスなどの交通機関を使いましょう。バスだと同じ路線に乗れば先に岐阜城に近いバス停「岐阜公園歴史博物館前」まで行けます。うまく使えば両方行けちゃうかも!?(ただし田舎なので、時間は各自でしっかり確認したほうがいいですよ)
鷺山城はその名の通り鷺山にあるので、軽い登山をします!登山といっても標高68mなので、岐阜城のある金華山に比べれば楽なものかもしれません。それでも足元は悪いので靴はそれなりのものの方がいいですよ!むしろしっかりと整備されていないので金華山より油断しやすいかもしれません!油断大敵‼
見どころは?
斎藤道三が討取られてから廃城になったようなので、ほとんど残っているものはありません。
それに昭和39年に土砂の採掘のために鷺山の一部が削られてしまっています。それでも本丸跡や土塁や堀などの跡は遺されたようです。今でも土塁の跡っぽいものがあります。
周辺も住宅地となっています。もしかしたらふもとにある神社やお寺になにか残されているのかもしれませんが、僕はそこまで調べておりませぬ。すまぬすまぬ。
本丸跡に登ってから岐阜城が見えたかも正直覚えていないんです。(まさか夏場に登って疲れてそんな余裕がなかったとは絶対言えない)
最後に
鷺山城は最後の幕府時代を迎える犠牲になったお城といえるかもしれません。
築城は鎌倉時代初期といわれており、廃城になったのは信長が天下布武を唱える直前(新しい時代の直前)でした。
信長の正室・濃姫(帰蝶)もこの城から信長に嫁していったということで
す。信長に次代を託して滅んだお城なのかもしれません。
廃城でも、その背景を思いながら見てみるといろいろな人間模様が見えてきます。
前回ご紹介した岐阜城と加納城址も今回ご紹介したアクセス方法のバスを使うことで、
加納城址(加納付属小学校前)→JR岐阜→岐阜城(岐阜公園歴史博物館前)→鷺山城址(さぎやま小学校北)と1つの路線で巡ることが可能です。
鷺山城址からめぐることで、時代の順番もいい感じで回ることができます。
お時間がある方はぜひ試してもらいたいです。
では今回はここまで!
最後までご覧頂きましてありがとうございました!
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