墨俣城・一夜城はどのようにしてできたのか!?

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こんにちわSunkistです。

間がだいぶあいて申し訳ないです。

 

さて、本日は豊臣秀吉が出世の足掛けとなった事で有名なお城・墨俣城についてです!

「すみまた」、と書いて「すのまた」です。はじめて知った時はすぐには読めなかったのかいい思い出です(笑)

このブログでは、歴史的な事についてはあまり触れず、「今現在」をどう楽しむのかについてお知らせしていこう!というものです。

とはいっても、まったく触れないのも寂しいので、歴史的なことにも触れつつ、今現在はどのように楽しむのかをお知らせしていこうと思います!

墨俣城の見ごろはいつだ!

さて、今の墨俣城ですが最大の見ごろがあります。それは

サクラの季節です!

墨俣城は長良川という川のほとりにありますが、正確には長良川の横を流れている細い川のほとりに建っています。

その川沿いを南に向かっていくと堤防沿いに桜並木があり、サクラのシーズンはいい観光名所になっています。わりと細い堤防なので、のんびり歩くにはちょうどいいでしょう。

サクラ並木の木漏れ日の中を歩くのは気持ちがいいものです。

1つ注意点としては、桜並木が一般の道路も兼ねているという点です。割と社会人の裏道的な感じで使っている人もいるので、注意が必要です。

どうやっていくの?

電車

JR東海道線 穂積駅から徒歩約45分

バス

穂積駅より名鉄近鉄バス「安八温泉行」約13分「墨俣北」下車

大垣駅より名鉄近鉄バス「岐阜聖徳学園大学行」約30分「墨俣」下車

はい、電車だけで行くのは難しいと思います。バスを使うことをおススメします。

また、自家用車で行かれる方は近くにある「さい川さくら公園」に停めて頂ければいいと思います。無料で停められて320台駐車できるのでオフシーズンなら問題なと思います。

墨俣城とは?

さてさて、ここで少し歴史の勉強になります。

墨俣城、またの名を「墨俣一夜城」とも言われます。

それは戦国時代、あの豊臣秀吉がたったの一晩で立てたお城だからです・・・!?

いや、これはさすがに言い過ぎで、実際には一週間くらいかかったみたいです。

このころの秀吉は織田信長の家臣でした。そしてその頃信長は美濃(現在の岐阜県)を獲ろうとしていました。美濃攻略の拠点として、当時は交通の要所だった墨俣を奪えるかは重要だったようです。

信長の家臣には柴田勝家なども墨俣を攻略しようとしたが、何度も妨害されてうまくいかなかったそうです。そこで秀吉は名乗りを上げて、作ったという感じです。そこには蜂須賀正勝や前野長康などの手助けがあっての事。

当時は木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)が合流していた場所だったようで、上記の二名が協力して木曽川の上流から木材も流して、途中で加工して、墨俣までまた流して、組み立てる。ということをして作ったそうです。

実際にはどこまで本当の話なのかっていう事は議論に尽きないそうですが、ロマンがあるので私自身は好きです(笑)

最後に

この墨俣という地は、戦国時代よりも昔から重要な場所だったみたいです。私は大学時代に平家物語を専攻していましたが、その時も墨俣という場所での戦いの事が書いてありました。

正直今ではあまりぱっとしないお城ですが、やっぱり歴史というものを読み取っていくとどんどん深みにはまっていきますね(笑)

次回は墨俣城に隣接されている墨俣一夜城歴史資料館について書きたいと思います。

今回も最後までご覧いただきありがとうございました。

ではまだ次回

 

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こんにちはSunkistと申します! アラサーとアラフォーの狭間で生きる社会人(♂)です。 幼少期に育った標準語とその語の岐阜弁が混ざった 中途半端な岐阜人をしています。 このブログでは、わたくしSunkistがちょー個人的に気になった話題やイベントをちょー個人的な視点を交えて発信していくブログです。 全国の気になったイベントのをご紹介。または個人的に気になった話題などを投稿していこうと考えています。