松倉城址・墨俣一夜城完成の影の功労者の姿は一体!?

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みなさんこんにちわSunkistです!

今回は、墨俣城完成の裏でなくてはならなかったお城。松倉城について書いていきます。

今回は情報少な目なうえ、個人的な意見がふんだんに入っております。ご了承くだされ<m(__)m>

松倉城の紹介

そもそも松倉城って、どこにあってどんなお城だったのかを、まずはお伝えしなければなりません。

この松倉城というのは、尾張国葉栗郡にありました。

これだけだとおおざっぱすぎますね。現在でいうところの岐阜県各務原市川島という場所にあります。この川島の中に松倉町という場所があり、そこにあったそうです。

ちなみに、この川島という場所ですが、戦国時代当時は無数の小さな島が点在しており、洪水や大水のたびに形が変わっていた不安定な場所です。この松倉という場所は比較的安定していた大きな島だったのでしょう。現在の川島の形になったのは大正時代に入ってからだとか、川島町史に書いてあったような気がします(10年前の記憶なものですいません)

現在松倉城の遺構と見ようと思いますと、裏鬼門に位置していた上ノ島神明神社があるくらいです。廃城となったあとも信仰を集めており、現存しております。

松倉城の築城者は富樫氏となり、孫が坪内氏と名乗った坪内利定という人です。

坪内利定とは?

戦国時代は織田信長に仕えており、木曽川沿いの国人衆をまとめていたそうです。

その中には、墨俣一夜城を造るのに貢献した蜂須賀正勝や前野長康などがいたそうです。

この松倉城も木曽川の上流から流されてきた木材をいったん引き上げて、加工を施した後、再度墨俣まで流す。ということをやっており、非常に重要な位置にいたことがわかります。

また松倉城は尾張国と美濃国の境にある要所となるお城でもあり、結構重要人物だと思われます。最後は大身旗本となって、現在の各務原市に移り住んだみたいです。

松倉城はそのさいに廃城になりました(1600年)

松倉城に行きたい!

さて、では実際に松倉城址に行ってみましょう。

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え?電車だけでは行けませんよ?

名鉄 各務原線 新加納駅より徒歩1時間くらいです。

各務原ふれあいバスにて「新加納駅」から「川島線」乗車「スポーツ公園前」下車 そこから徒歩15分ほどです。

めじるしとしては上ノ島神明神社の鳥居があることでしょうか。また、堤防側には簡単な案内文もあります。残念ながらお城っぽさという点では遺構が残されておりません。

最後に

この松倉城址がある川島は私の両親が今住んでいます。私自身も住んでいた時期もありますが、島民でもしっている人はあまりいないようです。そのくらいマイナー中のマイナーな存在です。私自身住んでいてまったく気が付きませんでした。

そうそう、今回のアクセス方法で来られる方は、バスを降りると割と近くにコンビニを見つけることができると思います。所用などがあれば先に済ませることをお勧めいたします。

 

さて、今回はこのあたりまでです。

最後までご覧頂きありがとうございました。

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こんにちはSunkistと申します! アラサーとアラフォーの狭間で生きる社会人(♂)です。 幼少期に育った標準語とその語の岐阜弁が混ざった 中途半端な岐阜人をしています。 このブログでは、わたくしSunkistがちょー個人的に気になった話題やイベントをちょー個人的な視点を交えて発信していくブログです。 全国の気になったイベントのをご紹介。または個人的に気になった話題などを投稿していこうと考えています。