幻の廃城!鵜沼城とはいったいなんだったのか!?

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みなさんこんにちわSunkistです!

 

今回は非常にマニアックであり、神秘的な城址をご紹介しようと思います!

なぜマニアックで神秘的かといいますと、この城址、現在立ち入り禁止になっているんです!

その理由を、簡単に歴史のお話をしながらご説明していこうと思います。

 

実際、私自身鵜沼城址の麓までは行きましたが、みごとに立ち入り禁止と書いてありましたのでそこで断念しました!(当たり前だw)

 

鵜沼城の立ち位置

このお城は築城から廃城になるまで150年ほどしかありませんでした。

場所は現在の岐阜県各務原市と愛知県犬山市の県境にあります。

アクセスとしては、名鉄犬山線の新鵜沼駅から南へ徒歩5分くらいえす。

 

そして木曽川を挟んで犬山城と睨みあう位置にあります。また鵜沼城の西側には伊木山城(こちらも廃城。築城は鵜沼城が先)があり、ちょうど美濃側(岐阜県側)から二つの城が犬山城を見張っている感じになります。

当時は木曽川が国境だったので、お互いに牽制しあうように作られたのでしょうかね?

築城したのは大沢氏という方です。

別名として「宇留間城」「宇留馬城」「志水山霧ヶ城」があるそうです。

織田信長が美濃を制覇する時に、この城を攻略することを命じたのが、当時まだ新人だった木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)だったのです。

記録によるとあまり大きな戦はしていないようなので、もしかしたらこの時から秀吉の攻城戦の才能があったのかもしれませんね。

 

秀吉に攻略された後は、犬山城主を勤めていた池田恒興が城主を兼任したそうです。

確かに、川は越えるけど、徒歩15分くらいの距離だからわざわざ別の人に管理を任せるのもどうかと思いますしね。

 

そして鵜沼城は、あの有名な小牧長久手の戦いの後に廃城とされてしまいます。

 

その後の鵜沼城は?

小牧長手の戦いで廃城になり、その後の鵜沼城はどうなったのか?

その後昭和になってからか、旅館兼レストランであった城山荘というものがあったそうです。この旅館兼レストランは、鵜沼城の下に掛かっているツインブリッジの建築に功のあった人が建てたもののようです。

しかし、昭和47年12月に火災が起こりそのまま廃業したそうです。その後廃墟化していたそうですが、2002年に市民からの要望で廃墟は撤去。現在に至るそうです。

この城山は公園化をすすめる話もあるそうですが、麓などの一部が個人の所有地のためなかなか進まないそうです。

そしてこの城山自体が立ち入り禁止なのは、この岩山(本当に小さな岩山)に崖崩れなどの崩壊の危険性がある事が主な理由のようです。

最後に

確かしここ10年ほど、各務原市の至るところで公園化がすすみ、市民にとっては非常にいい開発が勧められて来ました。

しかしこうした遺跡はきちんと史跡として残して欲しいものです。

それでも周辺の開発の際にいろいろな遺構は壊されてしまったそうでもあります。

また、この岩山には築城した大沢氏のお墓もあるとのことです。

いつの日かこの岩山に安全に登れる日が来ることを願っています。

 

では今回はここまでです。

最後までご覧頂きありがとうございました!

ではまだ次回!

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こんにちはSunkistと申します! アラサーとアラフォーの狭間で生きる社会人(♂)です。 幼少期に育った標準語とその語の岐阜弁が混ざった 中途半端な岐阜人をしています。 このブログでは、わたくしSunkistがちょー個人的に気になった話題やイベントをちょー個人的な視点を交えて発信していくブログです。 全国の気になったイベントのをご紹介。または個人的に気になった話題などを投稿していこうと考えています。